ジサツを巡る先入観
最近よくあるサイトで
ジサツした人は救われない
とか
地獄へ行く
とか
他の人に取り憑く
とか昔からよく言われてたことを言う人たちを見聞きします
宗教してる人や
スピリチュアルしてる人に言ってる人もよく聞く
そんな人たちに言いたい
貴方たちの大切な人がジサツしても
同じことが言えるのか⁈と問いたい
上記のようなことは所詮
昔の宗教の取り決めだったり
先人が行ったことが常識や知識として認識され
多くの人間の先入観や価値観として植え付けられているだけだ
上記のようにいうことが
全く失礼なことを言っているという認識はあるのか?
私は決してジサツを容認しているわけではない
私の親友は病気を苦にジサツした
その時供養もした
救われてほしいと願い続けた
ある時彼女が夢に出てきた
お花畑の綺麗な明るい場所で笑っている
自分は楽になったからもう心配しないで
そう言った
それが事実だと思いたい
これが人間というものではないだろうか?
軽はずみに口にして良いことではないと思う
タロットの価格と品質
今アーティストさん直のインディーズ版タロットの値段が
一万円超してるものが多い
今日いいなと思ったものは1万5千円ほどする
それでも世界中でタロットに高額注ぎ込む人はいるもので
それもよく売れてる
凝ったものは特に値段が高い
このご時世だからタロットの値段が上がるのも当然だろう
それと同時に
多くが中国で印刷されてるので
海賊版も増えてる
ないものを探す方が早いかもしれない
しかも品質?が上がっている
サイズも同じで箱の形が違うだけでデザインも同じ
写真で見ただけではわからないものもある
QRコードもカードの中に潜めてあるものもある
海外では海賊版を使う人も多い
本物志向の日本と違い使い分けてるかんじだ
生徒さんに海賊版を配って練習させてる方もいるし
国によっては本物を買えない為海賊版をデイリーに
使ってる国もある
ブランド品なんかは、偽物とわかって購入して使う場合
確か犯罪になったように記憶してるけど、
タロットはどうなんだろう?
日本じゃ海外と違い
本物じゃないとダメ🙅!
となってる
賛否あるのかどうかも分からないが
コレクターとしては日本は住みにくいと感じてしまう
ちなみに1万5千円のタロットは諦めた
光の存在と繋がると言うこと
最近亡くなった知人残した言葉が
とても印象に残ったので
スピリチュアルの方が見てくれることを願って書きます。
スピリチュアリストの男性でした。
光の存在と繋がるべきではない、
人間が光の存在と繋がり続ければ
肉体が蝕まれていく
私はもう直ぐ死ぬ
その前に伝えたかった
人間が光の存在と繋がるのは間違ってる
以上です。
誰かに届くことを願ってます。
試練と神様
小さい頃から色んな宗教に意思に関係なく関わり
古典宗教学の研究をする中で尚且つ、
それに関わるいろんな人を見てきて1つ
どうしてもはっきりしたことがある。
宗教やスピリチュアルをやってると
神様や光の存在のおもちゃにされてしまう
宗教やってる人には
一つ問題を乗り越えたら
次の問題がやってきて
一つ修行を乗り越えたら
次の試練がやってるくる
つまり
エンドレスに試練という贈り物ががやってくる
それでも神様と共に居て幸せだと言う人と
流石に心が折れたと言う人もいた
そりゃそうだろうと思う
そもそも人間が作り上げた神を信じる根拠を
どれだけの人が考えたことあるのだろう
肌や文化の違いで差別するのも思う壺だ
それよりなぜこの世界に
四つの肌の色があって
色んな文化や言語、習慣があるのか?
その答えを見つけた方がよほど幸せになれる
と思う今日この頃
自閉症と個性:異なる視点から見る
よく
「発達障害は生まれ持った個性だ」
的なことを聞くけれど
自分は自閉症であることを障がいだと思っている。
決して胸張って
「個性だ」
なんて言えない。
理由は
多い割合で起こるメルトダウンと
それにより派生する
抑えられない激情や怒りである。
ついでに衝動もある。
リセット癖もそうだし
買い物もそうだし
突然どっか行っちゃったり
人付き合いやコミュニケーション取れないのは
それでもいいと思っている。
めんどくさい話に付き合いたくないし
共感できない雑談を交わすことも
お世辞や社交辞令も言えないし言いたくもないからだ
アメリカでは
自閉症の才能活かして
個性としてやってる人も多くいる
しかし残念ながら
自分は何の才能もない自閉症なのだ
あるとしたら研究によってひらめき💡を
文章のすることだ
理解できる人にしか理解できない言葉で
所詮自分が分かる言葉でしか書けないのだ
ようやくtarosophyの解釈の全体像が
纏まったのであとはこかまい各カードの意味を
書き上げるだけだ
差別体験からの偶然の出会い
今日ふと気づいたこと
1人で近くのショッピングモール(ワンフロアーのみ)を
車椅子で手動で移動してましたら
少し離れたところから私を見ている人が居ました。
私が移動するとまたあちらも私が見える場所へ移動される
そこの用事は済んで
駐車場を横切って(しかいけない)反対側にあるお店へ移動
していたら今度は別の人が少し離れてついてくる
店の中に入っても
ある人が少し離れてついてくる
怖いなぁ、何なのだろう?
と正直思いました。
なぜなら自分は昔酷い差別を受けた時後をついてこられて
酷い目に遭わされた過去があるからトラウマになってます。
しかしあちらさんの目を見た時ふと気づきました。
私を気にかけて見てくれてるのかと
1人で危なくないかと思ったのかもしれないです。
うちは田舎ですが
出かけると大抵若い人が声をかけてくれたり
手伝ってくれたりします。
しかし
中高年以上の方には殆ど物珍しそうに見られます。
今回その年齢相応の方達だったので分かりませんでした。
めっちゃ失礼なこと思ったなと
ありがたいことなんですよね。
車椅子だと不便なこと多いので
すごく助かります。
アルコールアレルギーと外食のリスク
今日は私の誕生日なので
夫がお昼に私の大好きな
蕎麦屋さんに行こうと言ってくれました。
しかし、行く場所があったため、
時間もないしやめようと言いましたが
夫に大丈夫と押し切られて行きました。
案の定私の勘はあたり
結局私は車で待つことに。
理由は
アルコール🍺です。
私は重度のアルコールアレルギーで
匂いもダメです。
ショック症状出ます。
なので夜なんて特に
電車乗れませんから乗りません。
お昼にアルコール提供するお店からしたら
アルコールアレルギーの人がいる
なんて思わないのでしょう
そばアレルギーは気を遣われますが
アルコールアレルギーも同じく危険です。
だから外食も楽にできません。
タバコばかり目の敵にされるけど
ショック死する危険を孕んでる お酒の方が余程害があります。
お酒がらみの事件も沢山起きてます。
擁護するわけじゃないけど
なぜお酒はタバコより問題視
されないのでしょう?
お店に関しては
入り口挟んで左右に席が分かれているのだから
お酒を提供しない席を設けてくれればいいのに
と思います。
不快なのと命の危険があるのとでは
雲泥の差があります